Time to Ramble
소요의 시간

https://www.sumitomo.geidai.ac.jp/top-10-exhibitions-of-2020
チョンジ(Jeonji)《「ああ、」声が出るその時のこと》-撮影:チョ·ヘス
チョンジ(Jeonji)《「ああ、」声が出るその時のこと》 (撮影者:チョ·ヘス)
イ·ジェウン(Jeun-LEE)《植物になってみよう》-撮影:チョ·ヘス.jp
イ·ジェウン(Jeun LEE)《植物になってみよう》 (撮影者:チョ·ヘス)


 「Time to Ramble」 は韓国·釜山(プサン)の水晶山(スジョンサン)のアーカイビングをベースにした芸術散歩プロジェクトである。 観客たちは水晶山を歩きながら植物を観察し、美術、公演、植物図鑑、パフォーマンス、アーカイブ展覧会を通じて地域の新しい価値を発見する。

 水が乾かず清いという意味の水晶山は韓国の近現代とつながっている場所だ。日本による植民地時代には日本人のための公園が造成され、朝鮮戦争を経て避難民が形成した家跡と耕作地もまだ残っている。 観客たちはチョン·マンヨン(Manyoung JUNG)の《Sound Brear Stick》を持ってこの山肌を叩きながら歩く。このスティックとともに山を登ると、山に溶け込んだ地形と過去の痕跡をサウンドで感知することができた。散歩の時間、観客たちは山に設置されている作品に出会う。

 食経験デザイナーのカン·ウンギョン(Eunkyung Zebby KANG)の作品《Leaky Bagaji》では、観客たちが一緒に穴のあいたBagaji(韓国の大衆的なプラスチック桶)で水路を作る体験ができる。他にも、携帯電話が入っている透明な岩であるキム·ドクヒ(Doki KIM)の《Calling Nature》、ヘリウム風船を使って空気の流れとして消えた家を視覚化したキム·テヒ(Taehee KIM)の《その時と今、内と外》、村に関する記憶を収集してドローイングしたチョンジ(Jeonji)のカートゥーン《「ああ、」声が出るその時のこと》20点など、様々なメディアの作品を見ることができた。これらはすべて、人間が歴史と結びつけていく関係の方式と態度を環境と繫いで見せる。

 また、このような作品は、長い間この地域に住んでいた人々のインタビュー資料とともに再構成され、展覧会として作られた。 展覧会の場所は釜山草梁洞(チョリャンドン)にある1925年に建てられた日本式家屋で、現在韓国の登録文化財349号に指定されているところだった。

 ルーシー·リパード(Lucy R. Lippard)は「場所」について「自然、文化、歴史、イデオロギーが交差する地点」と説明した。彼女はアイデンティティと文化的価値の形成のために、場所の役割に関心を持つことが必要だと言う。現代の人々は移住や移動により特定の場所で生きを失っている。これは自然とのつながりを忘れさせ、歴史からの断絶と自我感覚から疎外されることから来る空しさを生み出す。このプロジェクトを企画したLAB Creative(Art Director : Changpa)は、地域、芸術、自然をキーワードに、まだ発見されていない空間を探索し、小さな物語を発見することで、このような時代に関係の感覚を呼んでいた。

(文:チョ・ヘス)


参考 : http://www.heritage.go.kr/heri/cul/culSelectDetail.do?ccbaCpno=4412103490000&pageNo=1_1_1_1 (Kor/Eng/Chi)

「Time to Ramble」水晶山(韓国釜山)釜山草梁洞日本式家屋 
Summer Season Ramble 2020年9月4日―9月 6日 
Autumn Season Ramble 2020年10月31日―11 月1日 
Archive Exhibition 2020年10月31日―11 月7日
https://m.blog.naver.com/labc2018/222129619270 (Korean)

Hello, I’m Hyesu. I live in Tokyo, Japan, and mostly write in Korean.

Living with more than two languages means living in more than two temporalities. Just as a single body holds multiple sites of memory, language isn’t necessarily bound by national borders. Some memories carry a language of their own, and I often think about the politics that exist between those layered times.

I usually introduce myself as a curator or researcher. Mostly when I need to sound proper. But to be honest, I’m not very fond of the word. Because what I do—making projects and exhibitions, writing, researching, reading and thinking, and simply getting by—are all too entangled to be separated.

This page came out of that entanglement. Rather than a neatly polished portfolio, I intend to keep it as a kind of living record, a space for encounters, a notebook for testimony.
Please feel free to drop by anytime and say hello.

P.S.
I have a soft spot for the dead, the invisible, and the unspeakable.